【コラム】凶悪犯罪と責任能力

2015-03-05

1、名古屋女性殺人事件

 名古屋市昭和区の一室にて、同室の住人の名古屋大学の学生(当時19歳)が、昨年12月7日の昼ごろ、女性(当時77歳)を斧のようなもので殴るなどして殺害したとして、今年1月27日逮捕されたことは皆さま記憶に新しいところでしょう。
そして、その大学生について、「日常を失わずに殺人を楽しめることが理想だと思う」等と短文投稿サイト「twitter」に投稿していたことや高校生のときに同級生に毒物を盛ったなどと異常な行動が日々テレビや新聞等で伝えられています。

昨年の佐世保の高校生が同級生を殺害した事件等も同様ですが、このような被疑者の異常性が際立つ事件では、しばしば被疑者・被告人の責任能力が問題とされます。

そして、責任能力がないと判断された場合、どのような犯罪を行ったとしても、処罰することはできません。
読者の皆さまの中には、責任能力が無いと判断されれば、どんなに残虐な行為をした人でも処罰できないのはどうしてなのか、処罰できないのは納得できないという人も多いと思います。
そこで、なぜ責任能力がなければ被疑者・被告人を処罰することができないのかを解説したいと思います。

 

2、責任能力の根拠

 犯人を処罰するためには、責任能力がどうして必要なのかということを考えるためには、そもそも刑罰とはどういうものかという点について考える必要があります。
なぜなら、犯罪を成立させることは刑罰という法的効果を導くものであり、翻ってある場合に犯罪が成立しないという根拠については、刑罰を科すことが相当でない、という観点から判断する必要があるからです。

 現在では、刑罰とは、過去の犯罪行為に対する報いとしての害悪・苦痛であり、その目的は犯罪の防止にあるという考え方(相対的応報刑論)が一般的です。この考え方によると、刑法とは、法益保護の見地から一定の行為を禁止・命令し、その違反に刑罰の制裁を予告・告知することによって、国民が犯罪を犯さないように動機づけるものであるということになります。

 そして、その前提として、物事を評価・判定する能力を欠いた者を非難することはできないし、そのような判断に従って自らをコントロールし得ない場合も非難できないと考えられています。

 つまり、物事の良し悪しを理解する能力(是非弁識能力)が無く、それに従って行動する能力(行動制御能力)の無い行為者は、刑法の命じるとおりに自己の行為をコントロールすることはできないため、「自らの行為を理解し、制御できたにもかかわらず、敢えて犯罪を行った」とは言えず、それを非難することは相当ではないと考えるべきということです。

 そのため、「是非弁識能力」と「行動制御能力」のいずれか又は双方を欠くと、責任能力を欠き、犯罪が成立しないとされるのです。
 すなわち、責任無能力者に対しては、刑罰は制裁の予告・告知による犯罪の防止という目的を達成することができず、刑罰を科すための前提条件が欠けるので、処罰することができないと考えられているのです。

 

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