【コラム】死刑制度の恐ろしさ

2014-09-05

「死刑が執行されなくて、本当によかった」

袴田事件という言葉を聞いたことがあるだろうか。
1966年に静岡県で起きた強盗殺人放火事件において、裁判で死刑が確定した袴田巌さんが、自身の無実を訴えて行った一連の冤罪闘争である。

袴田巌さんの再審開始決定及び釈放後、マスコミや世間から冒頭のような言葉を聞くことがある。
しかし、私にはとてもそうは思えない。

もちろん死刑が執行されなくて本当に良かったと思う。
しかし、48年間もの間、死刑執行の恐怖におびえながら過ごした人が、ある日突然社会に放り出される。

私は、むしろこのことの残酷さを感じた。
そして、あらためて死刑という制度の残酷さを感じた。

よく人は、「死刑はとりかえしがつかない。冤罪が後からわかっても、死刑が執行された後ではもう遅い」というようなことを言い、だから死刑制度はよくないんだという論陣をはる。

これまで私は、この意見について全く異論がなかった。

ところが、今日の袴田巌さんの釈放という現実に接して、この意見は変わった。

死刑が執行される前であったとしても、いったん死刑を言い渡した以上、後から冤罪がわかってももう遅いと思った。
人生の半分以上もの時間を、「自分は事件の犯人ではない」と訴える一方で、日々死刑の恐怖を与え続けること。これこそ、死刑という制度の残酷さ、非人道的な部分なのではないか。

昨日まで確定死刑囚としていつ死刑が執行されるかわからない人が、今日釈放される。
これほど死刑というものの意味、おそろしさ、残酷さを感じる出来事はない。

 

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